2022/11/13

見渡すとそれっぽいものがもう溢れまくってるじゃないですか。僕は映画が好きなので映画で言いますけど、予算がすごい莫大で有名な俳優が出てるハリウッド映画で原作も有名で、だから、おもしろくないわけない、みたいなやつ、あるじゃないですか。おもしろいっぽい要素を揃えたらおもしろい判定になるみたいなやつ。

別にね、予算とか誰が関わってるとかね、そんなのはまぁ好きにすればいいんですけど、もちろん僕だって好きな俳優や監督はいますからね、それはいいんですけどね、ただね、自分で見もしない内からおもしろいかどうかなんて本来まったく言えないわけですよ。予算や出演者だけ見てどうだなんて言えるわけないんですよ。だってあなたまだ見てないんだから。

そもそも、おもしろいって、なんだと思いますか。笑えるものですか、楽しいものですか。それって誰が決めますか。国際団体が明確な定義を決定していて誰もがそのルールに則っておもしろいか否かを判断していますか。予算が何億円以上だったらおもしろいって決まってるんですか。そんなことないですよね。そんなこと誰だってわかるはずです。なのに、どうしてか、作品自体に触れないでおもしろいかそうでないか口にしちゃう人、います。残念なことにむしろそういう人の方が多いんじゃないかとすら思います。

おもしろいってすごく不明確なものです。そしてそれはそれぞれに感じるだけのものです。それぞれにしか感じえないものです。僕たちはね、自分勝手におもしろいかおもしろくないか、ラベルやレッテルを貼りまくっちゃっていいんです。まぁ心の内に限定するならね。誰彼構わずひけらかしてたらそれはなんだか下品だなって思いますけどね。
ただ、そこにもルールがあって、自分でそれを体験してからでないといけないってことです。それはね、作り手に対する最低限のリスペクトだと思うんです。一生懸命作ったオムライス、食べる前から「不味いから要らない」だなんて言われたら、どう思います?別に見た目のこととか言われるくらいならまだいいですよ、こんな見た目のものおいしいわけない、みたいなね。ああ、見ただけで味も分かるんだこの人、何、新人類?いや、食ってから言えよって感じですよ。まぁほら、普通、味は食べないと分からないでしょう。もしかしたら人生で一番おいしいオムライスかもしれないでしょう。食べないうちから不味いって決めつけちゃうのはね、もったいないでしょうよ。というか、そもそも失礼すぎませんか、その人。なんなの、食べないで、もう。

例えばね、新しいものはね、体験したことのないものですよ。それはね、今までのルールの中で考えたらイビツに見えるかもしれない。だけど、だからってそれをルールの中にないからダメなものなんだ、おもしろくないんだ、って決めつけることはね、もったいないですよ。新しいものを受け入れられないとね、もうどこにも行けない。ここから一歩も進めないまま、置き去りになる一方です。人生一のオムライス食べられないままです。

もし望んでそうなるのならば止めるようなことではないんですが、望まずそうなっていくのだとしたらぜひ選択肢として加えてもらいたい。どんなものでもまずは自分で体験してみるのだということ。

 

でね、前置きが長い上に話も逸れてるんですけど、映画の話がしたいんじゃなくてね、最近ね、思いやりって難しいよなって思ってるんですよ。

そもそも、思いやりってなんですか。
僕が思うに、相手の気持ちや状況を慮ってよい方向へ進めるように手助けするようなことじゃないかと思います。まぁその定義が人によって多少ズレたとしてもね、たぶんほぼどのパターンでも「相手の気持ちを慮る」工程があるじゃないですか。これなんです、問題は。ねぇ、分かってくれますか。
我々はね、逆立ちしても何しても相手の気持ちなんて絶対分からないんですよ。そもそも自分の気持ちだってあんまりわかんねぇなってことがほとんどなのに、どうして相手の気持ちを分かるんですか。もし僕以外のみんなは本当に分かってやってんだとしたら、もう僕は今すぐにでも言葉の通じない国に移住しますよ。修行ですよ。言葉通じなかったらハートで行くしかないですから。

それなのにね、簡単に言うでしょう。世の道徳人っぽい人たちはね、思いやりが大切なのよ、って言うでしょう。あんたその発言こそ余程思いやりないんじゃないのって言ってやりたくすらなります。でもまぁ分からんでもないです。みんながみんな本気で思いやりを実施したらね、世の中はすごくハートフルで素敵な感じになると思います。でもめっちゃ疲れるんじゃないかな、僕だけですか?そうですか…

しかし思いやりのある人間になりたいんです。誰にだって気の遣える優しい人間になりたいですよ。だからね、相手の気持ちを一生懸命想像するわけです。この人は何を思っているんだろう、どんな場所にいるんだろう、二十何年の中で培ってきたイメージ力をフル動員してやってみるわけです。だけどそれでも答えを出せることは稀です、基本ないです。曖昧で不安いっぱいの選択肢しか思いつきませんよ。ありがた迷惑、余計なお世話、検討はずれのお節介焼き、そんな風に思われちゃいそうで、いや、本当にそうなんじゃないかって思って、変にグルグル悩みます。

そうやって僕が悩んでいる一方で、その辺の人が思いやりっぽいことを実践してくるじゃないですか。社会倫理的に、道徳的に、思いやりっぽいこと、ぽいだけのそれは案外簡単に思いついたりするわけです。落ち込んでる人にはいいことあるよと言って、仕事がうまくいかない人には頑張れよと言って、悲しいことがあった人には気持ち分かるよと言って、本当にやめてほしい。そんなの全然思いやりじゃない。ぽいこと言って気持ちよくなるだけならどこにも思いはありませんよ。あなた1秒だって相手のことを考えた上でそういうこと言ってんですかって思っちゃう時ある。悲しみはね、分かるわけないんですよ。僕の悲しみは僕だけのものなんです。一ミリたりとも誰にも渡しませんよ。ホント、まず呼吸を止めてみるとこから始めてほしい。そしたら1秒あなた真剣な目をしたから、お願いタッチタッチここにタッチです。

でも、そういう人がわりと多くて、もしかしたら僕が間違ってるのかもとも思います。本当はそんなに頑張って考えるのは求められてなくて、全然頑張れとかいいことあるよとか言われたいのかなみんな。気休め欲しすぎなんですか。おれは気休めなんて全然要らないんだけど、みんなは欲しいんですか。そうですか…

それでもやっぱり諦めたくない、優しい人になりたいからね。それはきっと、他人から優しいと思われたいというのと同時に、そうでない自分は嫌になっちゃいそうだからですね。優しくない自分が誰かに嫌な思いをさせていたら、嫌じゃないですか。嫌々期なんですよ、もう。
だから、「相手の気持ちを慮る」ことを一生懸命やってみます。本当に疲れる。相手も同じことをしてくれるかというと本当にしてくれない。僕が勝手にやってるだけなんですけど、どうしてこの人はこんなにも自分のことしか考えてないんだろう、って思っちゃうくらいしてくれない。でもそもそも僕だって口にしたり行動にしたりすることのほうが少ないんだから、全然同じなのかもですね。表面にないのなら他の誰にも見えないし、内側にそれがあるかないかは分からないから。実のところ僕は全然誰のことも思いやれてなくて、みんなはめちゃめちゃ思いやってるのかもしれない。その末にこんなこじらせ思いやりモンスターが産まれちゃったのかな…ごめんね…

 

そもそも他人にそれを求めるのは随分わがままなことだと、分かってはいます。おれのこともっと考えてよ!なんて、とんだ自己中バカやろうじゃないですか。分かってるんです。でもね、ひとりくらいはさ、考えてくれてもいいじゃないですか、ちょっとくらいさ…

そんな毎日だから、ふとした時、この人はおれのためを思って考えてくれてる、って思うと、涙が出そうなくらい嬉しくなる。欲しい言葉がなくても、望んだ行動がなくても、ただその慮る工程が自分に対してあったんだって思うだけで救われるような気分になる。
自分は自分といつも向き合っていて、時々は何もかもが間違っているような気持ちになる。もういい歳になったのに全然そんな気持ちになる。周りを見渡しても誰もいなくて、ひとりきりでとてつもなく大きな怪物と対峙しているような気持ちになる。
毎日ヒーヒー泣きたい気持ちでいるところに、大丈夫か、助けに来たぞ───って武器を持って来てくれたらもう、泣いちゃうじゃないですか。泣きたい気持ちでいるところに助けに来てくれたら泣いちゃったってなんか、本末転倒感も否めないですけど。でも本当に助かりますよ。いてくれるだけでいいです。

そういう人たちを大切にしたいです。どうしても自分のやれる範囲には限界があって、全部を大切にするなんてできないから、これからもどんどん取りこぼしながら歳をとっていくのなら、一緒にいてくれる人たちだけはきちんと抱きしめていたい。そのためにはやっぱり、相手のことを慮っていないといけないんだと思う。別に救いたいなんて烏滸がましいことを思ってはいないけど、もしも辛い時があるのならせめて自分がしてもらった分くらいは助けになりたい。それでも烏滸がましいのかもしれないけど。

だから、僕はぽいことに逃げたくないと思います。それって全然脳停止だから。やらない善よりやる偽善、みたいな言葉を振りかざして脳停止のお節介自己満オナニーしてる人たちは早々に考えをあらためてほしい。ホント、いつか道頓堀に落としますよ、僕の手で。
まぁでもわかんない。やっぱりこういうのって人それぞれだし、結局僕が言いたかったことって思いやりが大切だと思うってことじゃないですか。それって世の道徳人っぽい人たちと同じこと言ってるから、余程に思いやりがないのかもしれない。本当に難しい、思いやりというのは。これから先も分からないまま、思いやってるつもりのまま、勝手に救われたり救われなかったりしていくんだと思います。どうか見守っていてね。