2022/09/11

友達からブログたまに見てるよって言われたんだけど、数年前のブログでした。見返すと超恥ずかしかった。せっかくなので今日も書いてみます。

変わらないでほしいなって思うじゃないですか。例えば昔からの友達、数年に一度会うとかそのくらいのね、お友達が、久しぶりに会ったらなんか全然違うじゃんってなったら寂しいじゃないですか。なんだよ随分変わっちゃってさぁって思うじゃないですか。丸亀製麺でネギと天かす馬鹿みたいにかけまくってコスパよすぎって言ってた頃のお前どこ行っちゃったんだよって思うじゃないですか。

まぁ、だけどね、そもそも自分だって変わっちゃってるなとも思うんです。今から何年か前はお金なくてグラム100円以上のお肉は買わないようにしてたのに、今なんてことあるごとにちょっといいステーキ買いまくりじゃないですか。おいしいお肉が好きだよ、ホント。

もしかしたらそれは、お前ステーキなんて買うやつじゃなかったじゃん〜!って言われることかもしれないです。半額の肉をまとめて買って何日も冷蔵庫に置いて変色してから食べてたじゃん、なんだよ随分変わっちゃってさぁって思われるのかもしれない。だけどさ、仕方ないよねって思う。できれば変色してないお肉食べたいもんね、みんなね。おれだってそうだよ。

時代が刻一刻と変化するというのは、世間の基準が変化するということだと思う。それは世間の定義にもよるけれど、例えばオタクというキャラクターに対するイメージはここ十年ほどで随分変わりましたよね。そういう感じのことです。

例えば世間が0で自分が1だったら、世間から見て自分は1ですよね。そこで世間が2になったら、変わってない自分は-1になります。変わってないから変わっちゃいますよね。なんかね、最近はそんな風に思います。プラスとかマイナスとか言うと優劣あるみたいだけど、そういうのじゃなくて。

同じ場所にずっといる人は、動き回ってる人から見たら、離れたり近づいたりする。動いてる側から見るなよ、止まってる方から見るだろって気もするけどね。相対的ってことです。
久しぶりに会ったときに思ってるよりずっと遠くにいる風に感じたら、寂しく思う。たとえ昔から何ひとつ変わっていなかったとしても、自分が違う場所にいればそう思ってしまう。逆に近くにいて嬉しい時もあるんだけど。

何が言いたいかっていうと、僕の友達は時間が経っても全然友達でいてくれて、嬉しいなって思うんです。全然会わないけど、何年ぶりとかに会っても、あら昨日もお会いしました?ってくらいの気持ちで話したりする。なんだか結構助かります。

みんな同じくらい歩いたりしてきたのかしらって思うと、ちょっと感慨深いものがあったりする。全然ハッピーな話ばっかりしてても、なんとなくそうじゃないこともあったろうなとか思ったりする。そういうの言わなくてもなんとなく想像できるのもまた嬉しいと思う。だって友達だからね。

やっぱり変わらないでほしいなって思っちゃう。みんなこれからも友達でいてねって思う。自分が変わっていくのを止めることはできないと思う。みんなもそうであってほしいと思う。変わっていくことを止められないまま、これからも楽しく遊んだりしたい。それはもうずっと変わらないことであってほしい。おじいちゃんになってもおばあちゃんになっても、楽しくやろう。河原でヘビ花火延々眺めたりしようぜ。もうそれだけがこの世界を生きる唯一の希望だ。向こう数十年分のヘビ花火は手配しておくから、何も煩うことなく日々を生き抜いてくれ。頼むよ、お友達のみんな。また遊ぼう。