2025/10/20
ひとりでに動き始めた寝具の様子を眺めているうち、それが自分の寝床だったことにようやく気付く。慌てて引き止めようと手を伸ばしてはみるが、不安みたいなその場所で、我々は安らかな夜を過ごすことができるだろうか。いやはや、全然できますわね。ハッピー!
秋の訪れは翻し翻し、あたかも無かったみたいな、伝えてあったでしょみたいな、とどのつまり何でもなかった。そんなユーモラスでいられたのなら、さぞかし正しい親密を獲得できたりしたのかも。どう考えてもセンスの外にある。
正しさとは間違い以外のすべてであって、だがしかし間違えること自体は正しさの中にあったりする。果たしてその隙間に頭を突っ込んで、飛び上がる照明を指差したりできるんかい。手当たり次第に解明を試みる。たとえほとんど無意味だったとしたって、交わることのない光の軌跡を辿るだけでも嬉しいみたい。それすら確かさを付与できない頼りなさを、いつまでも愛していたいよ。
無邪気な残酷性を直向きに解体して、粒になったそれを紫蘇の葉に包んで油へ放り込む。ひとつもうまくない。勘弁してくださいよって思う。どこに行ったって変わりはしない自分を憂いても、変わり続ける自分以外を眺めることしかできない。選ぶ言葉しか許せないだろ。今さー、めっちゃ炭酸水こぼしたわ。選べない運命そのものってこと。
選べるものなら選びたいか?そうでもない気がする。それでも、少なくとも自分を見つめた時からは、選び続けてきたと思う。それはきっとそれでしか自分を見ることができないと思うからだ。今だってそう思う。選べるなら選ばないといけないんだ。それはもちろん選ばないということだってそうなんだ。もしあなたが選ばないということを選ぶのなら、選ばないということを選んだのねって、僕はそう思うよ。それはつまり選ぶということだった。僕もあなたも選び続けた運命の上にいる。皮肉にも運命とはこの世に蔓延る全てのことだ。引き返すにはもう随分生きてきたね。頭の隅っこでたまごっち育てるよ。
2025/10/8
件の無料鑑賞券で気になっていた映画を観た。開始時からモゾモゾとしていたおれは、ものの三十分で見事に尿意の激戦区へ突入。果たして宇宙よりずっと宇宙そのものに成り変わったりした。1時間くらいはほとんど何も起きない映画だった。それならもうちょっと短くしておくれよ、尿意と拮抗してんだってこっちは。何も起きないことは得てして何も繋がることなく、言うなれば廃墟がどうだこうだ宣う主人公の人格を表すようであったが、どう表現したって蛇足だっただろうね。でもそれだって愛すべきだって言われるならそうだろうねって思うよ。結局すべては好き嫌い、選り好みの真っ最中、トランポリンのどこで意識を止めてんのってことなんだ。宇宙にすべてがあるなんて、都合よく捉えてるうちはもうずっとそこから動けないって、分かってないのが不思議なくらい。ビール何杯飲んだってお手洗いに駆け込まない、そのくらい楽しく過ごしてたよ。欲しがりたちの集会の議題、明日はどんな日になるのかなって、マジでハッピーであれ。もしかして通り過ぎて行くだけで、あなたって本当に素敵ですよ。ありがとね。最近はずっとハッピーだね、手を繋いだりしてね。それで離さないでいれるなら、絶対それがいいと思うよ。
2025/9/29
分裂するピクセルを目撃することがある。フォーマットで言えばフルHDから4Kへ、今なら8Kだってある。黒がもっと黒くなって、もっと黒くなっていく。もうあるところから分からないって思っていて、いやしかしそれでも分かることがあるだろう。ソアリンに乗っておくれよみなさん。画質とかじゃないなって思うかもしれないけど。
解像度が高くなることを実感するんだ。そういう瞬間にこれ以上ない喜びを覚えられる人間で良かったと思うよ。だけど、それと同時に何かを失ってしまうような気もする。変化するということは何かを得て何かを失うことであって、得るだけだなんてあり得ないと思う。とはいえ、できれば得続けるだけでいたい。何かを失うことはどうしたって寂しい。いいことでも悪いことでも。
果たして何を失ったんだろう。分からないけれど、世の中知らなくていいことばかりだと、つくづく思う。知りたくないことはたくさんある。そのくせ知りたがって夢中になって、自業自得で悲しがっていて目も当てられない。それこそ愛すべき人間の味だと思う。あなたが知りたいことを僕は教えてあげます。それこそ愛すべき人間の味だと思うよ。
大切にしていたものだって捨てられるようになったよ。寂しくたって耐えられるくらいには大人だ。どれだけ失ってももう抱え切れないくらいに得ている。最近は大枠でしか見えないものだってあって、中身を減らさないと入んなくなっちゃってる。まだまだたくさんのものに触れたいんだ。大切にしていたものだって捨てられるようになったよ。それはもしかしたら全くもって何もかもを覆すかもしれない。それすら喜びだと思って、信じる他ない。今更どこかに行こうだなんて虫がよすぎる。0が二つは並ばない可能性だけに全てを賭けろ。随分ただしいっぽくなっちゃってんだから。マジでおれはお前の味方だぜ。
こないだ知らないおじさんと情熱の薔薇を大声で歌ったら、二日くらい声出なくなって、でも本当にそうだぜって思った。言葉にできないシーンこそ醍醐味だよ。胸に掲げよう。
2025/9/25
映画を観に出掛けて、小さな映画館で、タイトルだけでいいねって思って入場した作品、コマーシャルに続いて始まったのは別の作品で、しばらく流れていた。ひとり、席を立って出て行って、少ししたら劇場の方と一緒に戻ってきて、すみません、すぐ戻しますからと言って慌ただしく立ち去った。だけど、やっぱり別の作品が流れていたんだけど、熱のこもった場面に差し掛かった頃に一時停止した。ああちょっと残念だなって思っていたら、壁の向こうから小さな話し声が聞こえてきて、Sが再生で、Xが停止、ああ、じゃあ壊れてないですねって、焦りと冷静の入り混じった会話が聞こえてきて、全然もうそれも映画だよなと思った。しばらくの無音の後にまた劇場の方が入ってきて、すみません、この後すぐに本編を始めますからって言って、コマーシャルの後に観たかった作品が始まった。なかなかおもしろくて良かった。映画が終わった後に、お詫びにって無料鑑賞券を配られたけれど、僕は今日はそんなもの本当に遠慮したいって思うくらいに楽しく過ごしましたよ。受け取りましたけどね。近いうちにまたきます。
2025/3/30
何か話したいと思うけど、誰に向けて何をどんな風に話せばいいか分からない。話したいという欲求だけがあって、でもそれっていつだってそうかもと思う。話したいことを聞かれたい。話したくないことは聞かれたくない。他人任せに気持ちよくお話したいというのは、多くの人が通常持ち得る欲求だろうね。そういう意味で今とても普通だと思う。
生まれてこの方、いちにさんと数えて至るには長すぎる時間を経てきて、その一部始終を順に話すだけで残りの生涯を終えられそう。誰だってそう。口を開いて話し口調や物語のディティールに差があるとしても、誰もがそういう日々を積み重ねて今ここに至っている。とてもじゃないけど分かってあげられない。分かってあげたいと思えるくらいには傲慢な気持ちがある。し、分かって欲しいと思えるくらいの自分勝手さがある。なるべく押し付けたりはしたくないけど。
本編の前に説明をするとして、上のような注意書きや所感が延々続くとして、みなさんから欠伸の応酬が押し寄せてきて、本編にたどり着くことすらできないと思う。それがまるで無駄で蛇足でしかないなら、または、そうであって欲しいと思う。
薄っぺらなフレーズで言いますけど、生きていたら色んなことがあるね。薄っぺらなことと思っていたような事柄でしっかり悲しんだり、ダサいと思っていた人生の目標が云々カンヌンで輪郭以外、または輪郭を失ったような気持ちになったり、色んなことの中には辛いことだってある。楽しいことだって、嬉しいことだってある。それだけでしかない。色んなことがあるでしかない。それなら最大限嬉しくいたいし、嬉しくいて欲しい。なのに、どうして悲しいことが起きるんだろうね。意外と誰も何も分からない。自分も他人も全員、分かる人はいないかもしれない。
ちょうど10年くらい前は言葉の使い方や組み立て方が分からなくて、話したい欲求だけが積み重なってもうどうしようもない時があった。他人にそれをどうにかしてとお願いするのは、性処理を懇願するより恥ずかしい醜態だと思う。だから、もう自分と自分でお話するしかない。壁に向かって語りかけては返事があるような気がして、永遠に続く問答のような時間を過ごすと、それはそれでスッキリした気分になる。今思うとそういう時間だって必要だと思う。ずっと自分だけと話していると視野は狭窄化し、話の通じない哀れな化物になりかねないが、果たして他人と話し続けることもどうにかなっちゃうのかもしれない。せめて自分で自分のことくらいはなるべく分かった風でいたい。今はそれすら自信がない。
本当はそんな自信は必要がないかもしれない。でももうずっとそれがあると思ってきたから、ないと不安で落ち着かない。取り戻すための時間の先に、また楽しく過ごせるならその方がいいと思う。楽しさの形が思った通りじゃないとしても。みんなで楽しく過ごそう、それはきっと許したり受け入れるということだと思う。
2024/12/16
自分が情けない立場にある時、その状況をきちんと把握して認められる人というのは、まぁ少ないかもしれない。会社という組織に所属する中であんまりにも哀れだと感じるのは、大概自らの置かれる哀れな状況を、全くもってそうであると分かっているにも関わらず、認めることができないままズルズルと過ごす人間を見る時だ。
目を背け続けることはまるでどうでもいいはずの他人に都合よく消費され続けていくことを受け入れ続けているのと同義だと言える。それは他人の弱みにつけ込む、情けのない人間が実のところすごく多いということだと思う。情けないというのは、情けがないということかもしれない。←うまく言ったね
果たして自分はどうだと省みるとまるでひとつもそんなことはないですと胸を張って言える、ことはなく、ただ人の振り見て我が振り直そうという気概だけはきちんと整えておきたい、その気持ちがある。
だいたいその場の勢いの中では認められない。ささくれに覆われるほど小さな人間のくせに、聳え立ったプライドを盾に隠れて自尊心を守りたい。その実守っているのは狭まりきった視界の明度だけで、本当はそんなものはどうでもいいはずだ。ふと一歩引いてみると視界を遮っていたのは身を隠すのに活用していると思い込んでいたプライドであって、開けた視界の中に誰かの思いやりや正しさが転がっていて、自らの恥を自覚する。
問題はその後、恥を認めて足を踏み出せるか。誤りを認めて話ができるか、無かったことにせず、その続きを始められるか。どれだけ時間がかかってもいい、そこから始めればいい。随分風化して誰もが忘れた言葉でも、その間違いを謝罪して正すことに、意味がないなんて思わない。
恥をかかない人間はいない。その恥を一生恥として抱えるのか、その続きに大らかな時分を見出せるか。それは他人に関係されない、自分だけの回答だと思う。
欲しくもないものを欲しがる人はたくさんいる。そんな人から欲しがられた時に、少しでも必要とされることを嬉しく思うか。そういう状況にあって自分の哀れさに気づいていない人は、そんなにいないと思う。どれだけ欲しがられたって関係ないはずなのに、どうしてかハートを押さえて無意識の搾取に従うばかり。他人に何かを与えられるほど何かを持っているのであれば話は別だが、あなたもわたしも、中身はまるで空っぽだと思うよ。痛む心壁は摩耗して穴が開いちゃって、このままじゃ何も残らない。
まずはせめてたったひとりでもその空っぽの中にご招待して、よかったねうれしかったね、かなしいねさびしいね、とか、話せばいい。そんなこともできないうちは、一生ひとりぼっちでも仕方ないと思う。だから、少しくらいは他人を信じてみたい。信じさせてほしいし、信じてほしい。僕は絶対にあなたたちを裏切りませんよ。必ずいつでも味方でいるから、それがどんな形かは今は分からないけど、だけど必ず味方でいます。あなたにとってどうかは分からないけれど、必ず話を聞いて、考えて、それで僕にできることをします。できることがなかったらできることを作るし、何もしないことができるのなら何もしないでいる。そういうことが優しさだと思うから。
2024/11/3
思うよりずっと長かった夏は足りない僕の脳みそをしっかりと湯掻いて、どうにも考えのまとまらない日が続いた。最近はようやく秋みたいな空気になって、少しは落ち着いた気分でいる。それもいつまで続くのか分からないけれど、どうとでもなりそうな、一見優しそうなこの感じをなるべくそのまま捉えたい。
季節と気持ちは密に関係していると思う。春や秋は柔らかい空気で過ごしやすいけれど、どうにも気が違いそうな危うさも感じる。それは本心や事実なのか、それとも気の迷いや悪戯な綻びか、分からないまま、たとえば解ききれないまま次の問題に目を移すような、居心地の悪さがある。
そもそも絶対的な区分に事柄を押し込めること自体ナンセンスだというのは前提にありながら、とはいえそれでは解答なんて出せないんだから、僕たちは選んだり決めつけたりする他ない。それで言うと浮かぶことや思うことはきっとある角度では紛れもない本当のことなんだろう。一旦そう仮定してみると、果たしてどうだと思っていたところからスッと抜け出せるような気がする。
自分が思うことすらまともに把握できないくせに、他人の考えや感性に口出しすることはどうしたって出過ぎた真似だと思う。だけど、人との関係性というのは自分と他人の間にしかないものであって、それはできることならお互いが干渉しあってそれぞれになるべく馴染む形にしたい。一方的に輪郭をなぞったとしても、中身は空っぽで、だいたいそれは虚しさのサイズとぴったり合う。それならもう、その出過ぎた真似をしたい。恥知らずでも構わない。
ほとんどの場合、見える物や感じることが違う。あなたも私も同じものを見ているなんてあり得ないはずなのに、その前提や視点を忘れてしまいそうになる。つまりそれはお互いにどうしても分かり合えない部分を持ったまま、その中で何を擦り合わせるか、何を諦めるか、何を喜びとして捉えるか、できることなら言葉や文章ではなく行動として、示し合うことだ。言葉に力はあれども、行動が伴わなければ意味も価値も希薄で、それならもう無くてもいい。無い方がいいとさえ思う。
今まで頑張るぞ!と思ったことも、すっかり遂げないまま部屋の隅に落としている。一度も忘れたことなんてないけど、言い訳やそれらしい理由をいくつも挙げてそのままにしている。
おれは今大きな何かを目標に掲げたい。今までにもなんとなくそんな風に思ったことはあったけど、なんとなくじゃダメだった。だけど、もう最近は人生に理由がひとつもない。どんな手段を使っても成し遂げたいと思い込んででもやるべきだと思う。
究極的に人はひとりきりで、他人は他人でしかないからこそ、繋がりたいとか分かり合いたいとか願うんだと思う。繋がれないし、分かり合えないから。だけど、そう願っていることが本当なら、それだけでも繋がっているし分かり合えているとも思う。それをどうやって成すか遂げるか、それだけだと思う。
本当は優しさや思いやりだけで満足できればいいんだろうけど、それってちょうどそこにいてくれる人がいないといけない。そんな完璧なことってあり得るのか?って思う。そう思ううちはひとりでもやり遂げていくべきだと思う。それは周りの人たちを蔑ろにすることではなく、ただ自分のために必要なことだ。どれだけ寂しいと嘆いても意味がない。