2024/12/16

自分が情けない立場にある時、その状況をきちんと把握して認められる人というのは、まぁ少ないかもしれない。会社という組織に所属する中であんまりにも哀れだと感じるのは、大概自らの置かれる哀れな状況を、全くもってそうであると分かっているにも関わらず、認めることができないままズルズルと過ごす人間を見る時だ。
目を背け続けることはまるでどうでもいいはずの他人に都合よく消費され続けていくことを受け入れ続けているのと同義だと言える。それは他人の弱みにつけ込む、情けのない人間が実のところすごく多いということだと思う。情けないというのは、情けがないということかもしれない。←うまく言ったね

果たして自分はどうだと省みるとまるでひとつもそんなことはないですと胸を張って言える、ことはなく、ただ人の振り見て我が振り直そうという気概だけはきちんと整えておきたい、その気持ちがある。

だいたいその場の勢いの中では認められない。ささくれに覆われるほど小さな人間のくせに、聳え立ったプライドを盾に隠れて自尊心を守りたい。その実守っているのは狭まりきった視界の明度だけで、本当はそんなものはどうでもいいはずだ。ふと一歩引いてみると視界を遮っていたのは身を隠すのに活用していると思い込んでいたプライドであって、開けた視界の中に誰かの思いやりや正しさが転がっていて、自らの恥を自覚する。

問題はその後、恥を認めて足を踏み出せるか。誤りを認めて話ができるか、無かったことにせず、その続きを始められるか。どれだけ時間がかかってもいい、そこから始めればいい。随分風化して誰もが忘れた言葉でも、その間違いを謝罪して正すことに、意味がないなんて思わない。
恥をかかない人間はいない。その恥を一生恥として抱えるのか、その続きに大らかな時分を見出せるか。それは他人に関係されない、自分だけの回答だと思う。

欲しくもないものを欲しがる人はたくさんいる。そんな人から欲しがられた時に、少しでも必要とされることを嬉しく思うか。そういう状況にあって自分の哀れさに気づいていない人は、そんなにいないと思う。どれだけ欲しがられたって関係ないはずなのに、どうしてかハートを押さえて無意識の搾取に従うばかり。他人に何かを与えられるほど何かを持っているのであれば話は別だが、あなたもわたしも、中身はまるで空っぽだと思うよ。痛む心壁は摩耗して穴が開いちゃって、このままじゃ何も残らない。

まずはせめてたったひとりでもその空っぽの中にご招待して、よかったねうれしかったね、かなしいねさびしいね、とか、話せばいい。そんなこともできないうちは、一生ひとりぼっちでも仕方ないと思う。だから、少しくらいは他人を信じてみたい。信じさせてほしいし、信じてほしい。僕は絶対にあなたたちを裏切りませんよ。必ずいつでも味方でいるから、それがどんな形かは今は分からないけど、だけど必ず味方でいます。あなたにとってどうかは分からないけれど、必ず話を聞いて、考えて、それで僕にできることをします。できることがなかったらできることを作るし、何もしないことができるのなら何もしないでいる。そういうことが優しさだと思うから。