2017/12/19(火)

正直な話、毎日もうダメだと思っている。預金残高が底を尽き、毎日の食事もままならないことも、日々のタスクが自分の容量をオーバーして、何をするにも目の回る思いをしていることも、バイト先が来月には潰れることも、その全てに関わりなく、もうダメになると思っている。
今日もダメだし、明日もダメ。昨日もダメだったし、その前もダメ。ダメじゃなくなる目処もダメ。ダメな自分に開き直れるほどのダメさはまだ持っていない。

明日になったら何かが変わるか?そんなことはない。毎日同じ。生きていて、お腹が空いて、嫌々働いたりもして、綺麗な人に目を奪われたり、自分の醜さに落ち込んだりする。変哲なんてどこにもない。私たちはここから進むことができない。世界を変えるなんてそんな大それたことはできない。
気が違うほどに自分は自分と2人きりで、本人ではないからこその呆れと、本人だからこその落胆がある。もう1人自分を見つけて、そしたらどう思えるのかな。
こんなにも鬱々とした気持ちを、誰にも明かすことなく(今書いているけれど)、平等な時間は容赦なく刻まれる。誰もが成し遂げる偉業に、自分だけが飼育する化け物が、噛みついて恥に変わる。
誰かに何かを表明することは恐ろしい。悍ましい。苦しいし、辛い。だけど、アイデンティティというのは、そこにしかない。それを求めて、それだけを手に入れるために、今までがあった。

これからはどうするのだろうか。皆目見当が付かない。とにかく悲しい。だけど、この悲しみは自分だけのものだと、その唯一性に価値を見出したりする。そのくらいアイデンティティ固執する。それは、誰もが同じに見える悲しさがあるからだ。個性なんてない。我々は人間という動物で、集団を形成して生活をする。その一人一人は人間で、一人一人が生きている。個性はない。あると思うだろうか。しかし、例えばこれがイワシならどうだろう。イワシは群れを形成して生活をする。その中で、大きさの大小はあれど、個体それぞれに特徴を見出すだろうか。僕たちはそんなものに目を向けない。いや、ほとんどは向けないだろうな。なのに、どうしてほとんどは、人間には個性があるなんて言うのだろう。不思議に思う。
だけど、僕たちは個性なんてない集団の中のたった1人だけれど、たしかに自我を持って生きさせられている。自分自身を抱えて生きている。なんて悲しいことだろうか。何も思うことがなければ、生存本能と、プログラムされた人間としての振る舞いだけを持っていれば、思考なんてなければ、どれだけ楽に生きられただろう。そして、そう思うと、イワシのそれぞれにも思考はあったのかもしれないように思う。でも、あまりにも弱者で、外的な要因により死に至らしめられることが多すぎて、思考を捨てたのかもしれない。苦しまないように。もちろん、今だって思考があるのかもしれない。僕たち人間がまるで無視するその個体たちに。それぞれの性格が、人間が個性と呼ぶ個体差が、悲しみや嬉しさを感じる心が、あるのかもしれない。とても悲しいことだと思う。

まぁ、そんなことはいいのだ。自分のことは自分にしかできない。自分の中にあるものは自分にしか掴むことができない。分からないことなんてたくさんあるけれど、少しは分かったりもする。他人に理解されたいことなんてない、いや、理解なんてできないだろうし、それを説明することは至極難しい。自分が理解することは、自分の中にしかない。
本当は、何も思い煩わない。患うのは思考だと思う。人間はなまじ思考能力に長けているが故に、それをフルに活用してしまう。していない人もいるけどさ。考えるからダメなんだと思う。

でも、悲しみは僕だけのものだと思うと、思考を止めて、沼に沈んでもいいんじゃないかと思う。ダメになってしまうなら、それでいいじゃないかって、今は本当に心の底から思う。今、どこにいてどこに向かうべきかなんて、誰にも分からないはずなのに、それが見つからなくて、必死になる。それでようやく人間として生きる資格があるのかもしれない。
それでもまだダメな自分を受け入れられないのは、理想があって、手が届く気がするのに、届かないからか。でも、こんなことも他人に言っても伝わらない。自分でなんとかしないといけない。なんとかできる限りはなんとかしたいと思う。

この間、ザゼンボーイズのライブを見た。凄まじかった。生きていてよかったと思った。こんなにも生命力にあふれた、歴史や外聞を纏いながら、それを吹き飛ばすくらい、個人がエネルギーを放出するステージは、心の一番深いところに突き刺さった。向井秀徳という人間には、間違いなく個性がある。僕は生きていて、あの日のあの時間にあの場所で、あれを見れて、本当によかった。本当によかったんだよ。思い出すたびに心臓を掴まれるような気分になる。やるしかないだろと思う。人生はやるしかない。全てを放棄したって、自分の想う自分を成し遂げるべきなのだと、今はそう思う。僕にも僅かながら歴史や外聞があって、だけどそんなものに気を取られる筋合いはない。自分には自分しかいないし、他人に見せるものは自分以外の部分なのだ。結局、生きていくだろうと思う。

それでも毎日悲しくなって、またダメにはなる。だけど、生命力に溢れたあのステージを、思い出す。悲しくても、想うことはできる。いつかまた、他の誰かが、感動を作るんだろう。感動をしたい。それが日々の望み。誰でもいいから俺を感動させてほしい。頼むよ、本当。