2017/08/28(月)

この世のこと、物、全部、曖昧であって然るべきである。
にもかかわらず、意味や理由やその本質にしか目を向けない人もいる。
別にいいけど。
いいけど、そういう人たちは、僕みたいに、そのものが纏う空気を吸い込むだけでウフフとなってる人を非難する。全然分かってないとか言われたりする。分かってないけど、それでいいんだと答えてやる。意味が分からないとコミュニケーションを拒否される。
別にそれでいいと思う。

 

だけど、コミュニケーションは大切だ。せっかく共通の言語で話せるんだから、体は自由に動くんだから、電波はどこまでも届くんだから、せっかくだから、伝え合いたい。
それを拒否するなんて、とってももったいない事だな。別にいいけどさ。

 

自分の好きなものを好きじゃない人がいるとちんぷんかんぷんな方面から非難したりする。僕はしませんが。
別にいいけどさ。逆に、なんでもかんでも好きってなんか嘘っぽい。
好きなものは少しのつもりでいて、でも気づいたらたくさんあって、ちょっと嬉しくなったりする。

 

知らない人と話をする時、好きなものを訊ねることがよくある。
共に好きなものがあれば、それはその二人の話題になる。共通の話題はまるで特別な言語である。
好きなものについて共感しあえれば、満足してしまうだろう。自分と同じものを他人も好いてくれる、そういう共感は、現代における満足感の大半を占めている。

 

そうしてその同調は広がり、いずれ緩やかに強制されることとなる。
頭空っぽでその渦中にいられればなんと幸せなことか。
誰もが同じ物を見て聞いて感じて、誰もが同じ涙を流し、笑い、怒る。
自分は誰もと同じ存在で、誰もと話題を共有できる。
素晴らしい世界です。
みんな同じ。最高ですね。

 

でも、誰かにとって、自分にとって、たったひとつでありたいと、わがままを抱えている。
同調を抜け出して、たった一人になった自分と、たった一人になった唯一の誰かと巡り合うことを願っている。
運命なんて安い言葉で片付けられるくらい、たった一人同士で存在したい。
だから難しい。

 

実際、おいしいなって思うのは人それぞれ、楽しいなって思うのは人それぞれ、苦しいなって思うのも人それぞれ。
他人の感性を信じないといけない。自分もそこに同調するのは違うが。
他人の感性と自分の感性をは異なるものだと、認められないうちは、会話も出来ない。
会話をしたい。

 

どうしようもないことはたくさんあって、でも別に解決したいわけでもない。
生まれて、いつか死ぬ。みんな同じ。
こんなに共通の話がある。
たった一人でも構う事はない。誰もが死ぬ。
どうしようもないことがあって、どうしようもなくなっても、別にいい。
そんなことはいい。
大切なことはたくさんある。
いつか死ぬのに、どうしたらいいのかって、分かり続ける必要がある。
終わり続ける自分の中で、解決したい事なんて僅かだろうな。
その正体が分かるまで、シビアな世の中になんとか手を伸ばさないといけない。
たった一人同士でいられるうちは、それでもいいだろう。
ダメになってしまうならそれもいいじゃないかと笑う。
たまには、いいよ、別に。