2017/08/04(金)

僕の部屋は物に溢れている。しかし、ゴミが散乱しているわけではない。必要なものがたくさん転がっているのだ。本当はどこかにしまっておきたいのだが、収納はもうどこもかしこもいっぱいで、一寸の空きもないくらいなのだ。

本当に必要なものだけ残して物を整理しなよ、とよく言われるが、果たして本当に要らないものなんてあるんだろうか。例えばこの間まで実家の俺の部屋のテーブルの上には、もみじのイラストが描かれた観光施設の入場券の半券がもう十年以上鎮座しておられた。これは小学生の頃の修学旅行で訪れた広島で手に入れたものだった。手にとって眺めれば、薄っすらと不鮮明に当時のことを思い出す。関西人がこぞって広島焼きを食べてる姿がやけに印象的だったこと、ホテルで同じ部屋になったのがそこそこイケイケなやつで、本当に嫌だなと思ったけど、普通にいいやつだったこと(話し方は受け付けんかったけど)。そういった過去を思い起こさせるために、当時の欠片みたいなものがあるとよいのだ。特に僕は忘れっぽいので、何かきっかけのようなものがないともうダメなんだ。だからいろんな季節のいろんなものを大切に置いている。

んだけど、その半券は、ある時僕の部屋に侵入した妹によって特に意味もなく半分に破かれてしまっていた。憤慨した僕は妹になぜ破ったのかと問い詰めた。すると、「ゴミやん。」と一言返され、唖然としてしまった。ああ、これってゴミだったのか、と思った。たまたま通りかかった親にも「そんなん捨ててまいよ。」と言われた。僕は半分に千切れたそれをゴミ箱に捨てて部屋に戻った。

 

じゃあ、ここにあるもののほとんどはゴミなんじゃないだろうか。小学生の頃に下手くそな漫画を書きなぐっていた自由帳。卒業式で配られた花の飾りがついたセーフティーピン。中学の初めての授業で配られたプリント。初めて訪れたライブハウス、2009年初冬の、今は亡きZEPP OSAKAでもらったフライヤー。自分で企画したイベントの精算書。今はもういない友達の手紙。全部ゴミか。

 

そんなことはない。他人から見てどうであっても、自分にとってはその全てが思い出の欠片で、無くなったらその物だけじゃなく、自分の中で確かに何かを失う事になる。それを意味も無く勝手に破壊するなんて、妹は本当頭どうかしてると思う。そもそも人のものを壊しちゃダメですよ。世が世なら切り捨て御免でしたよ。ほんと。

 

と、長々と書いてきたが、こういう思考回路があって、部屋が一向に片付かないのだ。近年はうすうす感づき始めている。捨てるべきものもあるのではないか、と。それでもそう簡単に手放す事はできない。今までに手に入れてきたものなんてたかが知れていて、その一片を自ら放るなんて恐ろしい事だ。ただでさえ少ないものがさらに少なくなるなんて、困っちゃうな。

 

そんなわけもあって、なんとか収納を増やす方向で進めている。CDが40枚入るプラケースを4箱、購入した。全部に入るだけ詰め込んで、ようやく床のCDが片付いた。しかし、床にはまだ、文庫本や雑誌、それにトレーディングカードやなんやもある。それらを片付けたくて新たなプラケースを注文する。そうするとダンボールに梱包されて送られてくるわけですが、うちからダンボールを捨てる場所までは徒歩15分かかる。おかげさまで通販中毒の僕の部屋はダンボールにも溢れている。一度じゃ捨てきれないから何度も往復しないといけない。この炎天下にさ。無理でしょ。市のルールがなんとかすべきだと、思いませんか。ねぇ、ほんと。どこでもダンボール捨てれるようにしますって公約掲げて市長に立候補したら当選しちゃうんじゃないかってくらい、みんなそう思ってると思う。頼むよほんと。

 

♪黄色い車/サカナクション