2017/07/19(水)

どうも僕です。ちょうど先月の19日から始めたこのブログですが、ありがたいことに一定数からのご愛顧を賜りまして、1ヶ月もの期間途切れることなく更新し続けてきました。これもひとえに皆々様からの声援、ご支援のおかげであります。どうか皆様におかれましては、お体にお変わりなく、変わり続けていく日常の中でくだらないものも素晴らしいものも、自分の目で見て肌で感じて、その価値の創造に励んで頂きたく存じます。僕はあの~アイスとか食べたいですけどね、今は。

 

しかし、どうですか。毎日更新しているところだけは評価できますけども、内容という内容はほとんどないこのブログ、1ヶ月で551回もの閲覧があるんですよ。関西人なので肉まんが思い浮かびましたけどね、その数字で。JR三ノ宮駅の西口と阪急の駅とをつなぐ通路の傍らにね、あるんですよ。551の蓬莱。一回も買ったことないけどさ。でも親が買ってきて食べたことはあるし、まぁ美味しいですよ。王将とタイマン張れるくらいには。まぁ実はあんまり覚えてないんですけどね。

それはさておき、どうですか。1ヶ月で551回ということは1日あたり20近いアクセスがあるということですよ。昔個人HPが流行ってた頃は1日5アクセスとかだったでしょう。魔法のiらんどとかさ、懐かしいよね。キリ番失礼します!みたいなさ、文化だったね、あれ。その頃と比べたら数倍のアクセスですよ。なんちゅうこっちゃ。まぁ別にどうでもいいけどさ、見てる人数とか。とはいってもまぁ、見てる人増えてきたらもっとおもしろいこと書こうって思えるかもですけど。なんだかんだエンターテイナーですからね、僕は。

 

実際、今現在に存在する自分は、少なからず見たり聞いたり触れたりしたもの、そのすべてに影響を受けてきていると思います。それが好きなものでも嫌いなものでも、人格形成においてそれらの因子が混ざり合って、今の思考回路が設計されているというか。だから、このブログの閲覧人数が何人だってことも今の自分の一部になっていると思いますし。昔に、僕がまだ小学生になりたてだったくらいに、近所の高校生に遊戯王カードを盗まれた事だって未だに忘れてないし、そんなやつらもいつかは親になったりするのかよと思うとゾッとします。そういうくそみたいな出来事まで全部ひっくるめて今の僕ができてるんですが、この理論に基づくと、自分のなりたい自分っていうのは意外と実現できる気がしませんか?

人それぞれに、素晴らしいな、素敵だな、って思うものは異なると思います。だからこそ世の中には膨大な数の楽しいことがあって、くそみたいな日々でもそういったことを想ってなんとか生きながらえているわけです。自分の知らないおもしろいものがたくさんあって、それはおそらく尽きることなく無限に創出されるのだと思うと気軽に死にたいなんて言っていられません。できることなら、って文頭につくのかもしれませんけど、自分もそういったものの一部になりたいなって、思ったことはありませんか。僕は思うんです。この世にできないことなんてひとつもないぞって。やるかやらないかしかこの世にはないと思います。なりたい自分なんてなればいいんだよって。ロックスターになりたいならなればいいし、世界を揺るがすような研究を発表したいならやればいい。誰からも愛される存在になりたいならなればいい。やり方が分からないのなら、いろんな視点から物事を眺めてみることです。そんな本気出して見たら疲れるのでぼーっとしてください。リラックスしないといい思考は産まれませんからね。まぁ、僕たちにやれないことなんてないんですよ。もちろん物理的に不可能なことはできませんけど、それはあきらめてください。科学がなんとかしてくれるまで待ちましょう。その科学を自分で発展させたいならやってください。早くタイム風呂敷作ってください。壊れたコンポ直したいんです。

 

しかし、僕はそう思うんですけど、世の中はなんともネガティブな人が多いじゃないですか。まぁ僕も今日はこんな脳内お花畑でうふうあはは散歩してるくらいゆるふわですけど、普段は沼の底で泥を啜って生きてるような人間ですからね。書いてるポジティブな事半分くらい無理してると思ってもらって差し支えないです。本当は死にたいとかよく思います。半年に一回くらい。

でね、世の中のネガティブな人たちなんですけど、どうも物事を決めつけて捉えてる人が多い気がします。これはこうだから楽しくないものだ、これは楽しいものだ、って。例えば今日の授業で話題に上ったものだと、親が実はロボットだったら裏切られたって気分になりますって話なんですけど。急に意味わかんない話ですけど、これは手塚治虫火の鳥の復活編についての議論で出てきた話で、作品自体はざっくり言うと、一度死んでテクノロジーで蘇った人間がロボットと人間の狭間で揺れるって話なんですけどね。まぁその話の流れで、ロボットだからどう、人間だからどう、なんて決めつけることなく、ただそこに存在するものが自分にとってどういった意味を持ってどういった価値を与えるものかを、捉えて受け入れるべきだと話したんですよ。だって、いつも楽しく遊んでる友達が実はオレロボットなんだよねってカミングアウトしてきてもそんなに関係性が変わることはないじゃないですか。もちろん初めは驚きますし、高性能すぎクソワロタってなりますけど、友人である事には変わりないし、別に人間でもロボットでも、一緒にいて楽しいならその属する集団に関わることなく素晴らしいことじゃないですかと。という話をしたら、教室の中では薄ら笑いが蔓延してて、たぶん僕以外のほとんどの人はそうは思わなかったんだろうなと察しました。おかしいなぁ。そんで話は戻って、じゃあ親が実はロボットだったとしてもいいんですか、って聞かれたんです。でも別に、僕からしたらそんなの本当にどうでもよくて、親が人間でもロボットでも、今まで二十と数年、汗水たらして稼いだお金を、こんなクソみたいな僕のために支払って育ててくれてるわけですから。逆に聞きたいくらいですよ。親がロボットだったら今までの関係性は全部解消して、育ててくれた恩やなんかも帳消しで、その存在自体を受け入れる事ができなくなっちゃうんですか。それは言いすぎだとしても、たかがロボットだったくらいで裏切られたって思うんですか。二十数年の中に事実として存在する恩義を上回るくらいあなたにとって、親が人間かロボットかは重要なんですか。バカらしいったらありゃしない。僕の好きなブルーハーツだって『生まれたところや皮膚や目の色で、いったいこの僕の何が分かるというのだろう』ですよ。見た目や俗評で決め付けることはしないで欲しい。人間は思考できる生物なんだから、せっかく出会えたんだから、ちゃんと話して、空気を共有して、自分にとってのその価値を捉えるべきですよ。ロボットでも人間よりよほど人間味があるかもしれない。いつかは人間は機械のようになって、ロボットは人間のようになるかもしれない。ただ、その時でも、自分というものを見失わずに生きていけたらいいですね。

 

僕は一日二日、下手したら数時間で考える事が変わってしまいます。今ここに書いてる事だって、明日にはもう皆目頭になくなってるかもしれないけど、それでも、今この瞬間に思うことには嘘をつかずにやっていきたいし、やっているつもりです。僕の場合は特に、映るもの、触れたもの、聞こえたこと、感じた事をなかったことにはしないようにしたいと、そう思います。これは受け売りで、僕の好きなポルノグラフィティ新藤晴一さんがエッセイで綴っていたことなんですけど、本当に大切な事です。じゃないと、今ここに存在する意味すら否定する事になるじゃないですか。そんなのってないですよ。確かにそこにあるものを抱きしめていきましょう。このことはパレットという楽曲の中でも言及されているので是非聴いてみてください。

 

つらつらと書き連ねてきましたけど、結局言いたいのは、こんなの読んでるなんてみんな本当に暇なんだなってことです。ありがとうございますですよ、本当に。

 

♪心のすべて/climb the mind