2017/09/23(土)

明日兵庫に帰る。帰るつもりは、無かったわけではないけれど、気づいたら桁一つ少なくなってた残高のおかげで、つもりはつもりで終わりそうだった。だけど、親がわざわざ連絡してくるもので、帰っておいでと連絡してくるもので、帰ってあげることにしたものです。

 

6年くらい前になるだろうか。中学を卒業して進学してからというもの、本当に、一人も友人と呼べる人がいなくて、学校と自室の往復をしていた。中学の頃のつてからバイトをすることになって、してみた。その頃は部屋でギターを弾いたり本を読んだりする以外にやることなんてほとんどなかったものだから、気づく頃には30万円くらい貯まっていた。

それは大きな金額だった。今でも思うし、当時も思っていた。俺はお金を貯めれる性分だし、これからもこの貯めたお金は少しずつ増えていくんだなぁと思っていた。そのお金でギターを買った。セールで7万円くらいの、元は10万くらいしたものだった。それは今でもよく弾いている。愛着もある。

 

5年前から今まで使ってるってことは、本当に気に入って使ってるってことだ。お金が貯まってきたのならもっと高いギターを買うことだって考えるだろうに。それでも使っている。気に入ってるんだな。

実際、気に入っている。だけど、他のギターが欲しい気持ちもある。欲しいものはたくさんある。そしたら貯金を使えばいいじゃないかと、思うだろうか。あの頃何もしなくても勝手に貯まっていった貯金は、今はもう見る跡もない。毎月、月の終わりにはほぼ0になるくらい。

どうしてかというと、いろんなところに行ったからだ。旅行だと思うだろうか。そうじゃない。旅行なんてそんな、行った覚えがない。観光なんてそんな、した覚えがない。じゃあ何かって言うと、ツイッターで知り合った人に会いに行ってみたり、好きなバンドのライブを見に行ったりしていた。書いてみて、ありがちだなと思った。

来て欲しいと言われるとどうにも断れない。会いたいと言われることなどほとんどなかったものだから、言われてしまうと、弱い。東京、徳島、仙台、名古屋、岡山、京都、新潟に行って、福岡に行こうとしてやめた。その頃にはもう貯金なんてなくて、交通費がなかったからだ。

 

その頃に知り合った人のうち、三割くらいは今でも仲がいいと、自分では思っている。友人と呼ぶのはおこがましい気がしてならないけれど、それでも昔より少しは友人が増えたんだと思う。

 

今でもお金はないけれど、おいでと言われると名前を呼ばれた犬のように行ってしまったりする。おかげさまで食費を削ったりしなきゃならないんだけど。明日は兵庫に行く。親に呼ばれたから。何をするわけでもないんだけど。数少ない兵庫の友人に連絡したら、ちょうど出張や旅行でいないんだって。本当に何もすることがない。実家で寝るだけの帰省になりそう。

2017/09/22(金)

昔はよかっただろうか。

その渦中にいた頃には微塵もそんなこと思わなかったんじゃないだろうか。今になって、あの頃はよかったって、ようやく気づいたんだ、みたいなことを言うんだろうか。

 

そんなことはない。いつでも良きも悪きもあるだろう。別にいつがいいわけじゃない。思い出せるのが極端にいいか悪いかのどちらかに偏った印象的なものなだけで、薄っすらした記憶も含めてきっちり一瞬ずつ並べてみたとすれば、今も昔も、寸分程度の違いしかない、同じ幸福の上にいるんじゃないだろうか。

 

頭ではそう思っていても、あの頃はよかったと、そう思ってしまうのは、自分の変化を受け入れつつある自分に、ある種恐怖さえ覚えるからである。変化することはとても怖い。

長らく存在しているものには、少なからず誰かしらが何かしらの評価を付加していく。それを見た上で、自分も評価を付けてみる。他人の意見は調味料みたいな感じで、ふりかかる。味がついていい。そこに迎合するも、反論するも、どちらにしても自分の考えがある感じがしていい。

 

ところが、新しく生まれたものには、誰の評価もない。自分がどう感じるのかを論じる時、指標にできるものがない。不安になる。何かひとつ浮かんでも、本当にそうなのだろうか、まるで見当違いなんじゃないだろうか。答えを出せずに目を背けてしまう。

変化するというのは、新しい存在になるということでもある。それはとても怖い。だけど、世界は変わり続けることでしょう。人間は終わり続けていくし、終わるたびに始まってしまうこともある。

自分を表現するということは、新しい何かを生み出すことでもある。新しい何かはもちろん誰の評価もなく、ただただ自分一人の感性のみを信じて作り上げることになる。とても怖い。だから、音楽でも映画でも文章でも何でも、作る人はすごい。それを誰が気にいるか気にいらないか、そのどうかはまた別にしても。

 

あの頃がよかったのは、何も認められなかったからだと、結論付けた。いくつかの解釈が浮かんでいたが、最も納得がいくのはこれになる。今でも認められることは少ないけれど、自分の不甲斐なさはきっちりと認めている。それは、大人になりつつあることになるのか。それとも、子供でも大人でもない、不甲斐ないだけの人間になるのか。分からないけれど、それは間違いなく昔とは違っていて、その変化は恐ろしく面白いことだと思う。

2017/09/20(水)

現実には理由がなくとも結末をむかえることでも、自分なりの理屈をきっちり整えてあげないと、頭の中の物事は解決しない。
放り投げたボールは現実では地面に転がるけれど、頭の中では行方不明になる。

 

それはとても苦しい性で、それでいて与えられた権利でもある。特別驕っているつもりはないけれど、人間には思考する能力があって、複雑な物事であっても、他の動物よりは理解することができる。ともすれば、目の前の出来事について、きっちり解釈して捉えていかなければいけない。それは権利であって、ほとんど義務でもある。

にも関わらず、思考停止で視界すらも閉ざしている人が多くいる。自分だってあらゆる全てに結論を出し続けているわけではないけれど、それでも不満を述べたくなるくらいに自分以外に自分を預けている人がいる。
本当は自分もそうしたいのに。だけどそんなのはもう生きる理由を放棄するのと同じことだと思う。理由がないのに生きていくことは、ただの惰性に他ならない。自分は自分で律するべきだ。

考えることはとても苦しい。現実のほとんどは自分の手の及ばないところにあって、どんな手段を閃こうとも、即効性はなく、暖簾を殴打しているような気持ちになる。それでも考えなければいけない。生き続ける以上は、その理由を失うわけにはいかない。その苦しみに共感しないわけにはいかない。それを共感してもらわないわけにはいかない。

 

要約して、理屈をきっちり解釈して飲み込める人と結婚したいです。他人任せの人生を自分のものだと勘違いしてる人とお話しするのはもううんざりです。

2017/08/28(月)

この世のこと、物、全部、曖昧であって然るべきである。
にもかかわらず、意味や理由やその本質にしか目を向けない人もいる。
別にいいけど。
いいけど、そういう人たちは、僕みたいに、そのものが纏う空気を吸い込むだけでウフフとなってる人を非難する。全然分かってないとか言われたりする。分かってないけど、それでいいんだと答えてやる。意味が分からないとコミュニケーションを拒否される。
別にそれでいいと思う。

 

だけど、コミュニケーションは大切だ。せっかく共通の言語で話せるんだから、体は自由に動くんだから、電波はどこまでも届くんだから、せっかくだから、伝え合いたい。
それを拒否するなんて、とってももったいない事だな。別にいいけどさ。

 

自分の好きなものを好きじゃない人がいるとちんぷんかんぷんな方面から非難したりする。僕はしませんが。
別にいいけどさ。逆に、なんでもかんでも好きってなんか嘘っぽい。
好きなものは少しのつもりでいて、でも気づいたらたくさんあって、ちょっと嬉しくなったりする。

 

知らない人と話をする時、好きなものを訊ねることがよくある。
共に好きなものがあれば、それはその二人の話題になる。共通の話題はまるで特別な言語である。
好きなものについて共感しあえれば、満足してしまうだろう。自分と同じものを他人も好いてくれる、そういう共感は、現代における満足感の大半を占めている。

 

そうしてその同調は広がり、いずれ緩やかに強制されることとなる。
頭空っぽでその渦中にいられればなんと幸せなことか。
誰もが同じ物を見て聞いて感じて、誰もが同じ涙を流し、笑い、怒る。
自分は誰もと同じ存在で、誰もと話題を共有できる。
素晴らしい世界です。
みんな同じ。最高ですね。

 

でも、誰かにとって、自分にとって、たったひとつでありたいと、わがままを抱えている。
同調を抜け出して、たった一人になった自分と、たった一人になった唯一の誰かと巡り合うことを願っている。
運命なんて安い言葉で片付けられるくらい、たった一人同士で存在したい。
だから難しい。

 

実際、おいしいなって思うのは人それぞれ、楽しいなって思うのは人それぞれ、苦しいなって思うのも人それぞれ。
他人の感性を信じないといけない。自分もそこに同調するのは違うが。
他人の感性と自分の感性をは異なるものだと、認められないうちは、会話も出来ない。
会話をしたい。

 

どうしようもないことはたくさんあって、でも別に解決したいわけでもない。
生まれて、いつか死ぬ。みんな同じ。
こんなに共通の話がある。
たった一人でも構う事はない。誰もが死ぬ。
どうしようもないことがあって、どうしようもなくなっても、別にいい。
そんなことはいい。
大切なことはたくさんある。
いつか死ぬのに、どうしたらいいのかって、分かり続ける必要がある。
終わり続ける自分の中で、解決したい事なんて僅かだろうな。
その正体が分かるまで、シビアな世の中になんとか手を伸ばさないといけない。
たった一人同士でいられるうちは、それでもいいだろう。
ダメになってしまうならそれもいいじゃないかと笑う。
たまには、いいよ、別に。